2013年8月22日木曜日

日本の和傘 絶滅の危機を救え〜エゴノキ・プロジェクト

 ものづくりの教員・久津輪です。今年1月に実施したエゴノキ・プロジェクトのことを、岐阜県山林協会の機関誌「森林のたより」に書きました。このブログでは紹介していなかったので、ここに転載します。なお、このプロジェクトがきっかけとなり、2つの新しい動きがあります。そのニュースは文末に。



 岐阜は日本一の和傘の産地ですが、和傘づくりにエゴノキが欠かせないのはご存知でしょうか。竹の骨をつなぐ「傘ロクロ」と呼ばれる部品に使います。細かい刻みを入れても折れない粘り強さが求められ、他の樹種では替えがききません。岐阜では昔からこの樹を「ロクロギ」と呼んできました。

 いま、岐阜はもとより全国の和傘づくりは困難な状況にあります。中でもそれを象徴するのがこの傘ロクロです。これを作るのは全国でも岐南町にある木工所、一軒だけ。後継者はありません。そしてこの木工所へエゴノキを納めていた人が県内にいたのですが、その方が去年亡くなってしまったのです。それは、日本の和傘づくりが絶滅しかねないということを意味します。

 和傘づくりの最盛期は戦後間もない昭和25年頃。岐阜だけで月間100万本もの傘が作られたといいます。そのため傘づくりは、傘骨、傘ロクロ、紙貼りなど高度に分業化され、必要な材料も専門の人に任せておけば納めてもらうことができました。山側もエゴノキを集めるのは簡単でした。炭焼き用に伐った雑木から選り分けておけば、炭より高い値段で和傘業者に売れたのです。

 しかし今エゴノキを集めるには、それだけを探して山を歩かなければなりません。しかも通直で節がなく、直径が5センチ程度と、和傘に使うには様々な条件があるのです。森林文化アカデミーでは和傘業界からの情報を聞いて去年の夏から県内各地で調べてきましたが、山に入る人が高齢化している、価格が見合わない、太さや形状が条件に合わないなどの理由で、まとまった量のエゴノキを調達できるところは見つかりませんでした。

 諦めかけていた昨年末、たまたま訪れた美濃市・片知地区で、まっすぐなエゴノキに出会いました。地元の方は子どもの頃、この森で小遣い稼ぎにエゴノキを伐っていたのだそうです。そこで地元の林業グループ、岐阜の和傘業界、森林文化アカデミーの教員や学生に呼びかけ、エゴノキ・プロジェクトを立ち上げました。片知の森で全国の和傘づくりに必要なエゴノキ1年分、400本を採取しようというイベントです。ブログやfacebookなどでも情報発信したところ、東京や鳥取からも和傘に関わる人たちが集まってくれました。

 プロジェクトでは、エゴノキを継続的に採取するための新しい仕組みづくりを心がけました。分業でやってきた山側の人と材を利用する和傘業界の人が、顔の見える関係をつくり一緒に作業すること。雑木林のエゴノキがどんな美しい和傘に生まれ変わるのか、職人さんから山側の人に伝えてもらうこと。金銭的に見合わない部分を補うため、教育として学生たちにも関わってもらうこと。さらに一般市民にも呼びかけて、楽しく学びながら地元が誇る伝統工芸を支えてもらうこと。

 プロジェクトには50人もの人が集まり、2日間で500本のエゴノキを伐り出すことができました。しかも品質は、これまで傘ロクロづくりに携わってきた職人さんが最高級と讃えるものでした。この成果は、地元の森を生かす活動をする人たちにも、和傘業界の人たちにも、大きな励みになったようです。

 そして2年目の今年、さらに新しい取り組みが始まっています。森林文化アカデミーの学生1人が地元林業グループと共同で、エゴノキの資源量調査を実施中です。和傘用に持続的に採取できるか、去年伐った株からの萌芽の状態はどうか、シカの食害はどうかなど、植物生態学の教員の指導のもと調査を続けています。またエゴノキ・プロジェクトの参加者の中から、傘ロクロ職人の後継者をめざして1人が森林文化アカデミーに入学しました。彼には木工の基礎を学んでもらい、和傘業界へ送り出すことにしています。


 森林文化アカデミーの役割は、豊かな森林文化を次の世代に伝えるために、森を育て、人を育て、社会のしくみをつくること。エゴノキ・プロジェクトは、その具体的な実践例のひとつです。



 さて、ニュースを2つ。
(1)今年のエゴノキ・プロジェクトが11月23日(土)に決まりました。全国の和傘職人さんたちも参加してくれることになっています。
(2)傘ロクロをつくる職人、長屋一男さんが、国土緑化推進機構が選ぶ「森の名手・名人」に認定されました。森林文化アカデミー学生のインターンシップ受け入れなど、後継者育成に取り組んでいることも評価されました。おめでとうございます!