2015年11月30日月曜日

焼畑を伝え、在来種を守り、持続可能な山村を目指す

伝統的な焼畑から学ぶ生活の知恵

こんにちは、JIRIです。

 クリエーター科1年生・2年生が学ぶ『森林文化論』、本日は滋賀県立大学の野間直彦准教授
をお招きして「焼畑と森林-カリマンタン・椎葉・滋賀で学んだこと」と題して、お話をして頂き
ました。
 野間先生のご専門は植物生態学、研究の中で放置された里山の生物や保全にも取り組んで
おられ、その一環でこれまでインドネシアの西カリマンタンや宮崎県の椎葉村、滋賀県の余呉など
で取り組んでこられた「焼畑」を中心にお話し頂きました。


 焼畑はややもすると、環境破壊のように思われがち。確かに商業的な焼畑は再生不可能な
環境破壊といえる。しかし野間先生の説明された焼畑は「伝統的な焼畑」であるため、必ず
休閑期間をおいて植生回復させる。だから英語で「 Shifting Cultivation 」という。

 カリマンタンでも休閑期間を設けないと野生のバナナやチガヤの類しか生えない荒廃地と
なってしまう。
 カリマンタンではモチ米の陸稲やトウモロコシを栽培していた。
 

 休閑地になるとオオバギ属の先駆樹種が進入し、環境が良ければ4年で8mほどの樹高にまで
生育する。
 オオバギ属の多くはアリと共生しており、アリは髄の部分を蟻道として利用している。

 焼畑の強度が強くなると、言い換えれば休閑させずに過剰利用すると、再生する植物種数も
再生量も減少する。畑作は輪作が基本、伝統的な焼畑はサイクルさせることで、維持されてきた。

 水田での稲作のように、毎年、何百年も同じ場所で同じ稲を収穫できることの方が極めて希な
話です。

 続いては、宮崎県の椎葉村の「椎葉秀行さん、クニ子さんご夫妻の焼畑」について、ここは標高
800m~1000mまでを利用している。

 椎葉クニ子さんは、今や、焼畑の現役第一人者。「おばあさんの植物図鑑」でも有名な方で、
秀行さんと結婚されるまで(20歳)までに、500種の植物とその利用を会得していた、生きた植物
図鑑のような人でもあり、NHKでも特集が組まれていました。


 この地の標高1000m付近はブナとスズタケの植生で、特にスズタケは100本/m2くらいの高密度
で生えているそうです。 そこでスズタケを伐採したら森林が再生するかどうかを試験した結果、
ブナはもちろん、キハダ、クマノミズキ、シロモジ、ホオノキ、エゴノキ、ヒメシャラなどの埋土種子が
発芽してきたそうです。しかしこれらは、ニホンジカに食害され全滅に近い状態になってしまった
とのこと。

 椎葉クニ子さんは、1年目は、夏に山を焼いて、ソバ(蕎麦)をまく、
           「ソバは焼畑後77日で夕飯に間に合う」とお話しされたそうです。
 2年目は、冷え、アワをまく。最近はアレルギーの問題で、これらの注文もあるそうです。
 3年目は、牛も隠れてしまうほど草が伸びるので、鍬で掘り起こしてアズキ(小豆)をまく。
 4年目は、地力が無くなって焼け灰の力もなくなるため、草が少なくなる。ダイズ(大豆)をまく。
 5年目は、土地のいいところはトウモロコシをまくが、それ以外は森林に再生させる。

 椎葉さんの植物の知識はすごく、キツネノカミソリの球根はあく抜きをして団子状にし食べる。
ツルボは球茎を煮て食べる。キツネノボタンは虫歯の痛みに使う・・・・などなど、医者にも行け
ない山間ならではの智恵が満載。

 この地は広葉樹材の利用も独特、あたか(ヒメシャラ)の桶、こうか(ネムノキ)のめんぱ
草繊維はテゴ(カンスゲ製)の袋。・・・これは良い物でした。


 椎葉さんはマムシグサは「へびこんにゃく」と呼んで、ヤマドリを捕る罠に、赤い実をつかった
そうです。

 さて、最後は滋賀県長浜市の余呉町中河内(なかのかわち)での焼畑。

 ここでの活動には、JIRIも昨年と今年、参加させてもらいました。ここは2007年から滋賀県立大学
の黒田末壽先生が地元の中河内の永井邦太郎さんたちに協力してもらいながら、毎年、焼畑を
実践されてきた場所で、京都学園大の鈴木玲治先生たちも研究対象にされています。

 永井さんが長年、自分で受け継いで保存してきた「ヤマカブラ」を焼畑で作付けしています。


 ここでは江戸時代から、純血の在来種をほかのアブラナ科と交配しないようにするため
カブ(蕪)の下半分を切る下切という手法があったそうです。 カブ(Brassica rapa)種は
自家不和合性による他品種との強い交雑傾向があり、すぐに変性する性質があります。
 変性すると、「丸いカブ」「赤いカブ」を収穫したいと思っても、それが叶わない。 

 この「下切」という技術は、『百姓伝記』にも「・・・よほどかぶをきりすて、うえて・・・」と書かれて
いるそうですが、みなそうした手法には半信半疑だったそうです。
 下切は品種を守るため、秋田仁賀保、福井河内美山にも伝わる手法です。

 黒田先生が実験した「タネを採取する予定のカブを上下半分に切り、その上側だけを再び植え
ると、他のアブラナ科の植物よりも一ヶ月早く花が咲くため、他種との交雑が回避できる」ことが
わかったそうです。

 なおかつ、切ったカブの内部の状況(色や肉質)が確認でき、それを食用にもできるため、非常
に合理的な山里の智恵なのです。


 滋賀県立大学の野間先生たちや京都学園大の鈴木玲治先生たちの活動もあって、中河内の
限界集落の人たちも、先生や学生が来るのを楽しみして下さり、同時に評判の良い焼畑の
ヤマカブラ」の知名度が上がり、伝統野菜が維持されることに期待をして下さっているとのこと。


 焼畑では、里山の森林を利用し、山の神に儀礼を祓い、地域固有種である伝統野菜をつくり
再び山に戻す。 そんな持続可能な山間の生活がのぞけるのです。

以上報告、JIRIこと川尻秀樹でした。

刃物、うまく研げますか? グリーンウッドワーク指導者養成講座・第5回

小刀やノミ、うまく研げますか?
砥石にはいろいろ種類がありますが、どんな役割かご存じですか?

今年から始めた「グリーンウッドワーク指導者養成講座」は、将来グリーンウッドワークの講座を企画運営する人のための講座です。木工の講座を運営する人にとって、刃物研ぎは避けて通れません。しかし、刃物研ぎを詳しく学べる場は実はとても少ないのです。

そこで今回は、グリーンウッドワークに欠かせない3種類の刃物、セン(ドローナイフ)、小刀、丸ノミ、の研ぎ方を学んでいただきました。また、これだけあればOK!という3つの砥石もご紹介しました(#400と#1000の両面ダイヤモンド砥石、#1000の中砥石、#6000の仕上砥石)。

講座ではまず、研ぎの仕組みを講義で説明。それから講師がやってみせ、参加者に体験してもらいます。講師は森林文化アカデミーの私、久津輪 雅と、大同大学プロダクトデザイン専攻技術員の加藤慎輔さん。


とても全部は書ききれませんが、ポイントをいくつか写真でご紹介しましょう。
こちらはセンを研いでいるところ。大きくて研ぎにくいので、削り馬を使って刃物を固定し、砥石を動かして研いでいます。万能作業台である削り馬を使うのがグリーンウッドワークならでは。

これは丸ノミの内側を研いでいるところ。木片を丸ノミと同じ形に削っておいて、研磨用コンパウンドを塗り、なでつけるのです。このような自作のかんたんな道具で、内側もピカピカに研げます。

参加者の方たちからはとても勉強になったという声をいただきました。実際に木工教室を運営しているプロの方もおられましたが、テキストを読んでいるだけでは分からないコツが講座を受けてみて理解できたということです。

木工の裾野を広げるために、これからも実施していこうと思います。

オープンカレッジ「身近な森の手入れ入門」実施しました。

森と木のオープンカレッジでは、一般県民の皆様向けに、様々な学びの機会を提供していますが、今回は「身近な森の手入れ・入門」というテーマで、二回にわけ、美濃加茂市にある昭和村公園と連携し、公園内の施設と森を使って実施しました。


第一回は里山広葉樹林編として、アカデミーの柳沢先生が講義と実習指導に当たりました

午前中は、紙芝居を使った講義を聞いた後、周囲を散策しながら、植物の種の同定や、その特徴等について解説があり、遠目から見た森の違いについてもわかりやすく説明がありました。

 


午後は整備の実習です。
あらかじめ予定した場所に移動します。

この森は管理道路沿いなので、便利なのですが、枝が茂り、かなりうっそうとした感じです。
受講生から、見た感じを言葉で表現してもらいました。さらに、もし自分がこの森の管理を任されたとしたら、どんな森にしたいか、また、なぜそう思ったかを話してもらいました。



それぞれの思いや、目的が語られた結果、共通するキーワードとして出てきたのが、「明るくしたい」「見通しを良くしたい」「花や実などが楽しめるようにしたい」でした。
そこで、今回の整備方針としては、林床を明るくするため、中、低木を伐採する。特にヒサカキ、ソヨゴ、ヤブツバキ、イヌツゲ等の常緑広葉樹を優先的に除伐する。また、林床のササを低く刈りとることにしました。むろん、本当の管理者である昭和村担当職員さんの許可・同意を得たうえでの話です。




1時間ほどの作業でしたが、終わってみると、確かに明るく、見通しがよい、気持ちの良いスペースができていました。

最後に皆さんの感想を聞いて、終了しました。
ほぼ全員から、予想以上の環境の変化に驚いたことと、成果を得られた満足感があったという声が上がりました。


翌週は、人工林の手入れについて学んでもらいました。

場所は前回同様、昭和村公園内です。
午前中は施設内で講義を聞いてもらいました。



午後は実習です。
昭和村の人工林は少ないのですが、奥の一角にちょうどよいヒノキ林がありました。
まずは、釣り竿を使って、林の混み具合を調べます。 「森の健康診断」(矢作川水系森林ボランティア協議会)の調査方法です。一般市民向けの簡易な調査方法として紹介しました。




樹高も図ります。 これは見た目なので、あくまで推定値です。


測った値を、計算式に当てはめてみると、この林の混み具合が解ります。
何と、「超過密」という判定でした。

そこで、適正な密度に導くべく、切るべき木を選びました。
今回は入門編なので、選んだ中の細い木を実際に伐倒することにしました。

 

上手く伐倒できました。
次に枝払い、玉切りと、手仕事としてはハードなワークが続きます。



2時間ほどの実習でしたが、人工林の密度の調べ方と、適正な密度の基準、そして伐倒の方法について、駆け足で体験していただきました。
皆さん熱心に取り組まれていました。 実際に立木を伐倒したので、より達成感が高かったようです。



 
以上報告    原島幹典
 

 

 

 

イブニングセミナー「ヒートショックを起こさせない住宅のつくり方」、開催しました。

先週金曜日。19時から20時半まで、岐阜シティ・タワー43でイブニングセミナーを開催しました。
「ヒートショックを起こさせない住宅のつくり方」と題して、住まいと健康の話を1時間ほどしました。

建築の専門家向けのセミナーはよく行いますが、専門家以外の方にも伝えるのは、なかなか難しく、言葉を選びながら語弊がない様に伝えたつもりです。

興味を持っていただいた方から質問も結構出て、30分ほど質問の時間になりました。

安心して心地よく過ごせる家になるように、家族で健康についてもいろいろ考えていただけるきっかけになれば幸いです。



当日は、岐阜市の方だけでなく、多治見や、遠くは愛知県からも参加いただきました。ありがとうございました。

今年から始まった「会社帰りにフラッと立ち寄れるイブニングセミナー」ですが、12月、1月、2月とまだまだ続きます。

次回は、12/18(金) 「美濃加茂市・アベマキの学校机プロジェクト」。この回は、ぎふメディアコスモスで18:30スタートです。
お楽しみに。

竹林整備を体験しました。

エンジニア科2年の林産コースの授業「竹林の整備と利用」で、竹林整備を体験しました。

初日は、学校のすぐ近くにあるマダケ林の管理をボランティアでされているアカデミーOBの方から
、竹林に関わるようになるいきさつや、現在の状況、将来のイメージなど、丁寧にお話しいただきました。

 
 



今回は「竹材の利用」ということで、かご編み材として適したものが必要なため、節間の長さや年齢、竿の太さなどについて、加工・細工に適するような竹を数本選んで伐採しました。




それとは別に、合意されている管理方針に従って、枯れや先端折れ、ひどい傾斜、黄色くなった古い竹の除伐作業を行いました。





翌日は、関市でハチク(淡竹)林を整備利用している別のOBの方に、説明とご指導をいただきました。
このハチク林では、鵜飼の鵜を運ぶ際の「鵜籠」材料を育てています。
 



こちらは利用サイズを超えてしまった太い竹や、利用サイズに至らなかった細い竹を伐採してゆきました。除伐の作業です。









道路がついていたので、作業は楽に行うことができました。





入る前の姿と比べると、見違えます。

 
 
この淡竹林は以前から鵜籠の材料を採取している貴重な場所なのだそうです。現在に至るまで利用が続いているハチクの純林は珍しいようです。
 
次回の授業では、今回の整備で発生した(選んで収穫した)マダケとハチクの材料を使い、竹かごを編む予定です。
 
以上報告   原島幹典
 
 
 
 
 
 

2015年11月29日日曜日

インタープリターにとって、語ることは 聴くことの 半分も 重要ではない!? 

森と木のオープンカレッジ
「森林文化アカデミー」×「東海インタープリテーション・ネットワーク」presents
インタープリターのためのスキルアップ研修
「 聴ける」インタープリターになる!」

  インタプリターには、「伝える」力が大切だと言われています。でも自分が「しゃべる」ことばかり考え過ぎて、参加者からの意見をしっかりと聴けていなかったり、「ドキッ」とするような子どもたちからの質問に慌ててしまったりすることってありませんか?  また、外来種と命の教育、地球温暖化と産業発展などインタープリターが扱うテーマは多様な意見や疑問、異なる感情が沸き起こるような「答えのないもの」が多いのも事実。

 そんな時、インタープリターが「しゃべる」よりも「聴く」方が、その場の学びが深まり、本当に伝えたいことが伝わるのではないでしょうか。そこで、グループカウンセリングや子どもの主体性を尊重した関わりを軸にしたフリース クールを運営する、自然スクールTOEC代表の伊勢達郎氏を迎えて「聴く」ための実践の ワークショップを行います。

 後半は、参加者から各自の現場で困ったことや難しかったテー マを出しあい、再体験したり考察したりして学びあうケーススタディをしていきます。




日 時:2016年2月20日(土)~21日(日) 1泊2日

場 所:岐阜県立森林文化アカデミー <岐阜県美濃市曽代88>  HP: http://www.forest.ac.jp/
ゲスト講師:伊勢達郎氏(自然スクールTOEC代表)

対 象:インタープリター、教員、木育指導者、自然観察指導員、及びこれら教育普及活動
   にボランティア等で活動されている方または活動に興味のある方(18歳以上)
参加費:20,000円(プログラム代、1日目夕食、2日目朝食&昼食、宿泊費含む)
   *宿泊は森林文化アカデミー内コテージの部屋(2人部屋ベット)です。
定 員:先着順で20名まで(最低催行人数10人)
締 切:2016年2月6日(土)
共 催:東海インタープリテーションネットワーク(東海IP)/岐阜県立森林文化アカデミー



<予定 *状況を見ながら変更していきます>
●1日目
 13:00 受付開始
 13:30 実習①
 18:00 終了予定
 19:00 交流会
 23:00 消灯(予定)

●2日目
 06:30 朝食準備
 07:00 朝食
 09:00 実習②
 12:00 昼食(弁当を手配します)
 13:00 ケーススタディ
 16:30 終了



<持ち物等>
参加費(当日現金でお支払い下さい。)、筆記用具、タオル、洗面用具などの宿泊用具。ライト(コテージ結構暗いです。) 交流会の差し入れ大歓迎!*コテージの部屋は、2人部屋で、ベット(布団&シーツ)と電源があるのみです。別棟(本棟)には、バス、トイレ、キッチン、食器、冷蔵庫、電子レンジがあります。



<ゲスト講師プロフィール>
伊勢達郎(いせ たつろう)
学生時代よりカウンセリング・キャ ンプを学び、(財)青少年野外活動 総合センター指導部を経て、85年 「自然スクールTOEC」を設立。個人やグループのカウンセリング及び、沖縄無人島キャンプなど、たくさんのフリーキャンプ(自由なキャンプ)を展開。アメリカのフリースクールやインドのラジニーシ・アシュラムなどを訪ね、90年「TOECフリース クール(幼稚園)」98年「TOEC自由な学校(小学校)」を設立。
社会に 新しい学校のスタイルを発信・提案している。


*「自然スクールトエック」HP:http://www.ne.jp/asahi/outdoor/toec/ 


<お申込み>「第7回東海IP研修会参加希望」と書いて、①氏名(ふりがな)②住所 ③年齢 ④当日連絡のとれる電話番号 ⑤メールアドレス ⑥所属 をご記入の上、以下申込み先までメール、もしくはFAXにてお送り下さい。申込み先:メール:navanava@pop02.odn.ne.jp  FAX     :0575-35-3891問い合せ:090-9239-9187(担当:萩原)

2015年11月28日土曜日

揖斐川流域でフェアトレード&地産地消の社会モデルを創る


1125日(水)の夜、森林文化アカデミー内で里山ビジネスカフェ(3)"つながりをつむぐ"~揖斐川流域で穏豊社会を目指して~」を開催しました。
 

ゲストの神田浩史さんは、NPO法人泉京・垂井 理事のほか、国際協力・ODA政策決定の分野で複数のNGO理事や大学講師として活躍されています。

 
もともと京都で生まれ育った神田さんは、縁あって16年前に名水の里・岐阜県垂井町に移住されました。2003年に京都で開催された「世界水フォーラム」の事務局長を務めたことも手伝って、流域社会から地域をつなぎ直すことをコンセプトに、様々な活動を展開して来られました。

上流域の森林~中流域の農地や集落~下流域の都市部へと連続する流域社会は、アジアモンスーン地帯に特有の生態的構造といえます。垂井町がある揖斐川流域でも同様ですが、上中流域では森林荒廃・過疎化などの問題が起こり、下流域の都市部では行き過ぎた消費行動と裏腹に経済格差や人間疎外の問題などが起こっています。
 

これらのチグハグな問題群を解決する糸口は、多様性・循環性・関係性をキーワードに「つながり」を紡ぎ直すこと~これが「穏やかで豊かな社会(穏豊社会)」を実現させる見取り図だと神田さんは言います。そして揖斐川流域 "らしさ" を活かした地域づくりのためには、文化・歴史・伝統を核として「生業づくり」「暮らしづくり」「ひとづくり」の3つが必要だと説きます。

 

NPO泉京・垂井では、こうした考え方のもと幅広い活動を展開してきました。主な活動として、揖斐川流域の「環境ウォーキング」、大学生やNPOを受け入れる「都市・農村交流講座」、2011年に始まって今や1万人を超える来場者を集める「フェアトレードデイ垂井」、そして地元行政や議会を巻き込んだ「フェアトレードタウン垂井」を目ざす活動等があります。
 

最新の活動では、「フェアトレード&地産地消 みずのわ」というショップ・フリースペース・事務所を兼ねた、古民家活用の拠点運営があります。ここには地域の生産者や市民活動グループなど様々な人が集まって来ます。また地域のお祭りに招かれて「みずのわ」の屋号で出店することもあるそうです。

神田さんは、地球的な視点から21世紀の2大問題といわれる「南北問題」と「環境問題」の解決に取り組んで来られましたが、その具体的な姿が「揖斐川流域での穏豊社会の実現」という取り組みです。でもこれって考えてみれば、山側・山村側から地域づくりに取り組んできた私たちの目標や活動と驚くほど一致します。


今回のお話を聞いて、私自身が目を開かされた点を2つ記しておきます。
1つ目は、地産地消とフェアトレードを連続した地平で捉えること。地域内循環という考え方はよく言われますが、これを地方都市圏>農山村と都市部>日本の消費者と世界の生産地の循環関係まで敷衍していくことで、地域づくりに大きな視点と時代的意義が与えられます。
2つ目は、尖鋭なコンセプトを掲げることは、感受性ゆたかな若者や深い考えを持つ支援者を遠方から惹きつける磁力になること。フェアトレードというコンセプトなどはその好例です。農山村の地域づくりでは近隣住民との関係性や合意を大切にするあまり、こじんまりした歩幅の小さな活動が多くなり、魅力ある大きなビジョンを描けなくなりがちです。両者の視点が大切だと改めて思いました。

 

ご参加いただいた皆さんも、里山ビジネスと繋がるいろいろなヒントが得られたのではないかと思います。第二部の懇親会のシカ肉鍋も美味しかったですね^ ^

 
報告 山村づくり講座 教員 嵯峨創平

里山の「保全×活用」方法を考える

~暗渠排水での粗朶(そだ)利用の現場を見学してきました~


里山プロジェクト実習は、里山の自然を理解し「保全×活用」する方法を考えるためのプロジェクト型実習です。
1回目のテーマは「農業用水路における粗朶(そだ)の利用」、訪問先は琵琶湖干拓地の一つである「大中の湖・土地改良区」です。事務局長からお話を伺いながら、農地の暗渠排水に粗朶を活用している施工現場を見学してきました。



大中の湖は、琵琶湖の東岸に位置し、かつて40数か所あった琵琶湖の内湖の中で最大の面積を有した湖です。戦後の干拓事業を経て広大な農地へと転換し、現在も稲作、野菜栽培、肉牛飼育等が行われています。


暗渠排水とは、水田を必要な時に乾田化するための方策の一つ。穴の開いた管(暗渠管)を地中に埋め、その管に水をしみ出させることにより排水路へと誘導していく仕組みです。暗渠管の穴を土詰まりさせないための被覆材として、粗朶が活躍します。




あらためて、粗朶とは?里山林から伐り出した低木や細い木の枝を、規格に従って束ねたものです。「おじいさんは山へしばかりに…」に出てくる「しば」がそれです。広葉樹であれば樹種は選ばず。見学した現場で使用されていたものは溝幅に合わせたサイズになっており、周囲径15cm/長さ3mの粗朶(大半がアラカシ)でしたが、通常規格は周囲径20cm/長さ2m70cmとのこと。
この粗朶の下に、暗渠管(黒いW管)が敷かれています。








水田から野菜栽培へと移行する短い期間に、暗渠排水の工事は行われます。上流用水側・下流排水側の設置、掘削、暗渠管と被覆材の投入、埋め戻し等、トラクターや掘削機、ユンボといった重機を扱っての作業もあれば、手作業もあります。作業方法は、施工者(農家もしくは委託業者)がどんな機材を所有しているかによって決まります。
被覆材として使うのは粗朶の他に、竹材、木材チップ、瓦材があります。何をどう組み合わせて使用するかも作業方法と同様、施工者の得意分野が何かによって決めていくそうです。








実際の施工は各農家もしくは委託業者が行いますが、補助金申請や材料手配は土地改良区事務局が行っているとのこと。事務局のある敷地内には、WU管(暗渠管)や竹材、塩ビ管といった材料が積まれていました。






現場見学を終えた後、事務局に戻り、あらためて「干拓の歴史」についてレクチャーをいただきました。



戦中・戦後の食糧事情に合わせて干拓計画が立てられたものの、実際に営農を開始できたのは昭和41年、工事が完全に終了したのは昭和47年。対して、水稲の作付制限開始が昭和46年。つまり、米を作り始められるようになったわずか5年後には、米の生産調整が始まったということです。




稲作だけでなく野菜栽培に力を入れざるを得なかった背景を知るとともに、必要性があって暗渠排水の技術構築・蓄積がなされてきたことがうかがえます。




粗朶を暗渠排水に利用していく上での課題は1つ、「必要な量が手に入らない」という点です。短時間での大量供給が難しく、大中に粗朶を卸している会社の話によれば注文を断らざるを得ない時もあるとのこと。
需要(出口)があればこそ、里山の活用方法として粗朶生産は有効であるかのようにも思えますが、実際には、生産者側からみると、作業に手間と時間がかかったり、単価が高くなりにくかったりと、そう簡単にはいかないようです。
例えば、「現代版 百姓」を思い描いて田舎へ移住してくる若者が、粗朶づくりも、小さいけれど一つの生業として「やってみよう」と思える仕組みが必要になってくるのかもしれません。




山村づくり講座 1年生   岡 亜希子