2012年9月29日土曜日

生涯学習講座「木から樹へ 第1回 足湯のある園舎を中心につながる森・木,そしてそこに暮らす人々」

 本日(2012.09.29)より開始となった生涯学習講座「木から樹へ」は,3回にわたる連続講座となっています。この連続講座ではアカデミーの近くにある美濃保育園の園舎での,地域の材を使った建て直しプロジェクトに関わりながら,岐阜の木育への理解を深めることを目的としています。全3回の講座では,木材となった木に触れることから始まり,樹木の生育環境の話をしたり,木材となった個体が実際に生育していた林分へ行き,そこで生身の木に触れたりする内容を予定しています。

初回の今日は廣田先生が担当の「足湯のある園舎を中心につながる森・木,そしてそこに暮らす人々」というタイトルで講座を行いました。まずは車座になって一人一人が自己紹介を行い,アイスブレイクを行いました。様々なバックグラウンドの方達が参加されていたのですが,全員に共通することは,「もっと森や木のことを知りたい!」ということです。意外に盛り上がり,ふと気付くと40分ほど経過してました。

続いての廣田先生の講義では,まずは中山間地域が抱える問題についてディスカッションを行いました。近年,環境や縮小型社会に目が向くようになり,いかに無駄無く地域の資源を活用するかということが今回のプロジェクトの要となっています。そのような趣旨のもと,建て直しプロジェクトでは,普通の人が目向きもしないような材をいかにして使うのか?ということをテーマに取り組みました。このあたりの詳しい話は「木育モデル園プロジェクト」を参照して下さい。

午後からは美濃保育園に行き,実際に使われている木を見たり,その隣の善応寺を見学しながら,古い建物を修理しながら利用することについて学びました。

これが今回のプロジェクトの目玉となる「おばけツリー」です。普通であれば値はつかず,材として利用されることもないであろう木でも,目的次第では活用することができます。きっとこの保育園で子供達の人気の柱となることでしょう。

次回は地域の木をつかうということについて,生態学的な視点から学びます。乞うご期待!

2012年9月28日金曜日



越美セミナー 境界を越えて いとしろ 『 おもしろ いとしろ 』 に参加させていただきました。



石徹白(いとしろ)は、昭和の大合併の折、越境合併により大部分が当時の岐阜県郡上郡白鳥町(現・郡上市)に編入される以前には、福井県大野郡に属していた村で、日本海に注ぐ九頭竜川の支流、石徹白川上流にある。
この地域は、ヤジリや土器など縄文時代の遺物も数多く出土し太古からひとが住んでいた地域という。

石徹白の一番北側にある集落、上在所には、白山の開祖である泰澄が開いた「美濃禅定道」の拠点としての「 白山中居神社 」が鎮座している。
「 白山中居神社 」は、雄略天皇の時代から護国鎮護のために剣が奉納されたと伝えられており、平安時代から江戸時代初期にかけて、藤原能信、藤原秀衡、今川義元、柴田秀勝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、数多くの武将の信仰を受けたという。
また、奥州平泉藤原氏 秀衡からは、金銅仏『 虚空蔵菩薩 』(国、重要文化財)が寄進されている。この仏像は、明治の「神仏分離」以後、他の仏像や仏具とともに、別の場所に安置され、地域の人たちの手で大切に守り続けられています。(後述)



初日、
午後2時から 『 おもしろ いとしろ 』講演会
長年、石徹白地域の歴史と白山信仰の研究をされてきた 上村 俊邦 氏 と
元NHKディレクターの 水谷 慶一 氏 の掛け合いで、
石徹白地域の歴史や自然環境などの特性やユニークさについてお話を伺いました。

            

白山中居神社の元々のご神体と伝えられている『 磐境(いわさか) 』と呼ばれる巨石。
毎年、夏の盛り、7月の第3週にこの『 磐境 』をお祭りする『中居夏祭り』が、一日かけて行われるそうです。

           

白山中居神社宮司 石徹白隼人氏から「有り難いお話」をいただく参加者。
「こころがはれた」、「気持ちがスッキリした」と云われている参加者もいらっしゃいました。
礼拝(らいはい)

           

夕食の後、引き続き、地元の方々と参加者の交流会が行われました。
それぞれの地域の悩みや取組みについてとても有意義な意見交換がされていました。

           

二日目、
朝の散歩、田畑の中の道を、白山の開山「 泰澄(たいちょう)」の木像を安置する大師堂まで歩きました。この大師堂を管理する上村氏より、泰澄坐像や他の仏像、仏具がここに安置された経緯や地元のひとでこの建物を建てたことなどをお聞きしました。また、同じ敷地内の別の建物に平泉から贈られた虚空蔵菩薩像も安置されています。

        

「村の古老に聞く」と題して石徹白忠(いとしろ ただし)氏のお話を伺いました。
石徹白忠さんは、民俗学者 宮元常一が、昭和12年、17年に石徹白を訪ね、話しを聴いた石徹白藤之助(とうのすけ)氏 のお孫さんです。
藤之助おじいさんの縄文コレクションや中居神社文書から調べた資料が、永く謎だった豊臣秀吉の生年月日の確定に繋がった話や上杉家の家系図を提供した話などとても興味深い内容でした。

         

更に、今は福井県に属す、旧石徹白村の一部だった「小谷堂(こたんどう)」という地区名は、アイヌ語や縄文の言葉に通ずると考えられるという。
「コタン」はアイヌ語で「集落」を意味し、「どう」=「と」(アイヌ顔には濁音はない)は、沼や池のような水の溜まっているところを意味するという。

         

移動して、11時ころからは、『12人の運動会』にセミナー参加者も参加させていただきました。
小学校に着いたころには、ちょうど、『大相撲石徹白場所』の熱戦の最中(さなか)でした。高学年女子による必死の取組みです。土俵際でハラハラする5分近くの接戦で、声援も盛り上げります。

         

小学生12人を囲み、父母も先生も地域の人も、セミナーの参加者も声援を一緒にした一体感で、何の違和感も無く同じフレームのなかに納まり… 
「はい!チーズ」 パチリ!!

         

「玉入れ」にも参加させていただきました。
ほとんどが、セミナー参加者でした。
他に、綱引き、借り物競走、一般のリレーなど数多くの競技に参加させて頂きました。


 

小学生12人、全員による一輪車の演技。
左はしの二人が作るアーチの中を右端の子から手を繋いだまま潜り抜けて行く、これを6回出来るまで繰り返す。やっと三度目の挑戦で成功。
セミナー参加者の何人かの目は、うるうるしていました。

     

オプション(希望者のみ)、
将来は地域電力の地産地消も視野にめざす、小水力発電の見学です。
豊富な農業用水を活用して、低落差でも発電できる螺旋型水車の説明を聞くセミナー参加者。
当地では、2008524(土)・25(日)の2日間、『岐阜小水力発電シンポジウム in石徹白』が開催され、先進地ということで最近は行政や地域づくりの団体の見学も多いそうです。

     

用水路に設置された『 螺旋式ピコ水力発電装置
発電機には、自転車のハブダイナモを使用しています。
将来は、集落内のすべての街灯をこの発電機の電力でまかないたいという。

     

後ろの壁で輝いているLED街灯の前で夢を語るNPO『やすらぎの里いとしろ』の理事長K氏。この発電装置 プラス 街灯のシステムを愛称で『ピコピカ』と呼ぶそうです。
『ピコピカ』の「ピコ」は「一兆分の一」を表わす単位で、すごく小さいということ指し、「ピカ」は、その小さな電力で輝くLED街灯を指しているそうです。

      

三日目、
あいにくの雨空で、石徹白大杉への早朝ハイキングは中止になってしましました。「残念!!」

白山中居神社近くのコミュニティーセンターで、三日間の「まとめ」と「ふりかえり」をしました。参加者も地元の方も自由にこの三日間で感じたことや石徹白へのそれぞれの思いを語り合いました。
やはり、いっしょに寝食を共にすることで、親しくなり、より深いと所まで話せる仲になれるのだなーとしみじみ感じました。
それぞれの思いを胸になごりを惜しみながら帰路に着きました。
きっと、多くの参加者が、また石徹白を訪ねることは間違いないでしょう。

山村づくり講座 ふじお記


螺旋式ピコ水力発電装置 』『ピコピカ』の詳細は、公式ホームページ
http://fearth.org/pikoweb/
をご参照下さい。

 続・古城山プロジェクト


山村づくり講座2年のYです。
アカデミーでの学びを活かして、山県市教育委員会さんで進めている古城山プロジェクト。

麓の登山口に設置する説明看板が出来上がってきました。


こちらは樹木名プレート。
植生調査の結果をもとに、アカマツ・コナラ林の里山に代表的な樹木をピックアップ。
白ペンキ仕上げですが、地元美山の職人さんに依頼して、山県市特産のスギ板を使用しています。

城跡の遺構の立札を背負って、いざ古城山へ出陣!
地元小学校の校長先生も、協力してくださいました。

校長先生のヘルメット、よく見てください。
いまでは希少種になってしまった里山里地の植物・キキョウのマークが入っています。
そう、キキョウは古城山の大桑城に居城した土岐氏の紋。
ヘルメットにキキョウの兜印…校長先生、土岐の殿様の生り代わりにござりますな?

校長先生、地元の子どもたちにふるさとの里山の自然や文化のすばらしさを伝えようと、日頃から整備のために頻繁に古城山に登っておられます。
先日もYが登山道で倒木処理をしていたら、熊鈴を鳴らしながら歩いてきたのは校長先生でした。

まさに、古城山の主。地域の文化遺産はこうした地域の方々の手で守り伝えられているのですね。


遺構立札20カ所、樹木名プレート40枚、丸一日がかりで設置完了。
小さなプロジェクトですが、この山を訪れる人が里山の自然や歴史に思いを馳せるきっかけに、少しはなったかな?


看板やプレートや立札だけでは、少し物足りないですね。
ほんとは、地域の方やお年寄りと一緒に山に登って、リアリティのある語りに耳を傾けるのが一番良いのですが、毎日一日中登山口に張り付いてもらう訳にもいきません。
そこで、登山口に備え付けて、登山者が読みながら案内するセルフガイドを作成することになりました。

こんな古城山の植生モデル図とか…


山県地域の自然環境を背景にしたかつての産物や交通・交流について紹介しながら、人の営みと里山の歴史性や地域の文化について語る、ちょっとマニアックなガイドになる予定です。

麓の遺跡の発掘調査からわかってきた成果も、日本の森林と日本人の暮らしの移り変わりに当てはめて盛り込んでいきます。


 

もちろん、子ども向けのガイドも作成予定。

どこにでもあるようなありふれた里山ですが、古城山や麓で営まれてきた人の暮らしと自然の関わり、その移り変わりから、地域や日本の未来像が描けるような…そんな場所になるように、古城山プロジェクト進行中です。

山村づくり講座2年 ヤマダ

山村づくりゼミ授業風景






「山村づくりゼミ」の授業風景をお伝えします。

山村づくりゼミは、一年間を通じて定期的に(概ね1ヶ月に一回)開講されている2コマ(半日)の授業です。
今回は、夏休み中の活動報告と、前期(4月~9月)の振り返り、今後に向けての表明をしてもらいました。

トップバッターは、1年生のAさんです。
Aさんは岐阜の美濃加茂に生まれ育ち、企業を退職された方で、趣味の登山を続けるうちに、里山林の荒廃に気づき、里山をどう扱えば良いのかをアカデミーに学びにこられた方です。

 発表では、前期の授業を通じて関わった、美濃市近隣の数箇所の地域について、再度訪問、調査等をして気づいたことや、それらの地域との今後の関わり方、後期の授業への要望等も出されました。


次は、紅一点のSさん、ツアー会社に勤め、海外ツアーのガイド等を経て、今はプロのインタープリターを目指し、自然学校とインタープリテーションについて学んでいます。

山村づくり講座には、このインタープリター養成カリキュラムが別枠で組まれており、Sさんはそのコースを選びました。

前期の授業では、「森のようちえん」や「プレーパーク」「夏休み子供キャンプ」に関わる中で子供たちとの接し方について 身振り手振りを交えて熱い思いを語ってくれました。
 


最後に2年生のYさん。山間奥地と市街地の中間地帯を「ハーフ山村」と名付けて、ご自身の出身地域で、ユニークな仲間づくりを始めています。


岐阜や長野に継承されている「ヘボ(地蜂)採り」に着目し、地域の名人に密着して数回の活動に参加した様子を、動画や用語解説まで充実した資料をもとに発表されました。
これは、様々な地域資源を活かす生活文化が、維持・継承されていないことに危機感を抱いたYさんが、自らを地域文化を継承するものと自覚し、その活動の入口として位置づけたものです。今後さらに地域の宝物を掘り起こし、新たな時代に通じる価値付けをすることを目指しています。
 



 それぞれが30分程度発表し、気づいた点や感想、質問等を返してゆきます。
 

自分の発表が他者にどう伝わったのか、それを確かめると同時に、自分が目指すものについて言語化してゆく、社会の中に位置づけてゆくためのトレーニングにもなります。

                                              
報告者  原島

新しい木造建築のかたち(その6)

これも古い建物ですみません。

学生が建物の向こう側で写真を撮っています。私もこちら側から写真を撮っています。
・・・何かがおかしい。
私の目がおかしくなったかな?

学生が向こう側で写真を撮っているが・・・何か変な感じ

建物が正三角形していました・・・、良かった私の目は正常でした。

三角形・・・
・・・建物が正三角形!!!
今度は私の頭がおかしくなりそうです。


しかし、畳屋さんは苦労したんだろうな。








2012年9月27日木曜日

生涯学習講座 「身近な森の手入れ入門」第一回 「樹木を見分ける」


先日9/23(日)に森林文化アカデミー生涯学習講座「身近な森の手入れ入門」の第一回目、「樹木を見分ける」が行われました。

今回の講座では、三回にわたって、身近にある人工林・広葉樹二次林の現状や、どのようにして手を入れたらよいのか、その手法や考え方を学びます。

第一回の「樹木を見分ける」では、手を入れる林に生えている樹木を見分けるため、植物同定の基礎について学びます。林に手を入れる前には、対象とする林をよく知らなければなりません。そのためには、どんな種類の木が生えていて、どのような性質があるのか知る必要があります。こんな例えでよいのかわかりませんが、会社などの組織を変えるためには、働いている社員一人一人の性質や、組み上がっている組織の構造を知る必要があるのと同じ事ですね。そのための第一歩が、社員、すなわち樹木の名前を知ることなのです。

講座では、まず図鑑を使って樹木の特徴から正しい樹木名にたどりつく練習をしました。実際にやってみると、これがなかなか難しい! 細かく樹木の特徴をみていかないと正解にはたどりつきませんし、図鑑の検索表に書いてあることが曖昧だったりします。しかし、それを乗り越えてえいやッと名前を決めていきます。参加者の方の目も真剣そのもの!




後半戦では、講師について野外を歩いてもらい、様々な樹木の特徴と見分け方について学んでもらいました。連続講座第三回「広葉樹林の手入れで学ぶ」の実習地に出てくる樹木は、あらかじめ全部知っておいてもらわなければなりません。教える講師の方も熱が入ります。




最後に効果測定(つまりテストです)を班ごとに行いましたが、見事全問正解でした。みなさん幸先のよいスタートを切りました。残り2回の講座も、しっかり学んでくださいね!

「美濃町の家」 地域住宅計画賞 作品賞受賞

「美濃町の家」プロジェクトが第7回地域住宅計画賞の作品賞を受賞しました。
この賞は1983年に国土交通省が始めた地域住宅計画(HOPE計画)を根底に、気候風土や地場産材を活用した地域性を持った住宅を表彰するものです。

「美濃町の家 重伝建地区周辺地域の町並み再生」

「美濃町の家」は、重伝建地区"うだつの町並み"から道を一本隔てた通りに位置し、袖卯建と黒漆喰が特徴で、趣のある佇まいを残しています。周囲にも重伝建地区内に匹敵する立派な建物も現存しますが、改修助成や建築規制が無いため、安易に建て替えが進み、無機質な3階建の建物も目立ちます。
 綺麗に整えられ維持される重伝建地区と少し雑然とする周辺地域。
 今回、重伝建地区の外縁部に、適切なコストで、使い勝手や各種性能を向上させ、当時の面影を残すひとつのモデルとして計画しました。工事途中や竣工後に見学会を開催するなど、地域に向けての情報発信を行いました。

これまでの流れを少し思い出してみます。


このプロジェクトは、2008年9月に家政大学 手嶋先生率いる学生と一緒に始まり、7期生の木造建築スタジオの学生と木造建築病理学に基づく調査を行いました。
しばらく空き家になっていたため、雨漏りや劣化も見られました。


詳細調査では、畳を上げて、家の中で地盤調査も行いました。計画をたてる前に十分に現状の様子を把握する必要があります。特に地盤や基礎は、建物ができてから触ることが非常に難しい場所です。特に気を使います。

調査結果をもとに家政大学の手嶋先生の率いる学生さんと徹夜で計画案を練ったことを思い出します。その後住まい手のMさんに改修計画案のプレゼンをさせていただきました。
当時の様子は以前のブログにも書いてました。



その後、木造建築病理学 に基づく改修ということで、長期優良住宅先導事業の採択も受け、2009年から本格的に計画が動き出し、9期生の学生と設計に携わりました。 



構造はとても大事です。地盤調査から得られた情報と建物荷重た必要な構造耐力を考えて、室内にベタ基礎を作りました。


既存の柱の足元は、少し切断し、鉄骨で受け、鉄骨ごとコンクリートの中に埋め込んでしまいます。


工事後半では、アカデミー学生と東京家政大の学生、住まい手の方が、職人さん指導のもと、珪藻土塗りや床塗を行いました。


前面の道路に面して設けられた縁側です。当時(明治元年)のままの面影を残しています。


 中に置かれる家具は、アカデミー1期生のAC CRAFTの石井さん作のテーブルと、ものづくり講座の卒業研究で提案・製作を行った椅子が置かれます。

 住まい手のMさんはじめ、工事に携わっていただいた職人の方々、アカデミーや家政大学の学生さん、ほかにも紹介しきれない方々がこのプロジェクトに関わっていただきました。
 このプロジェクトに携わっていただいた方々皆さんのおかげで受賞できたものです。


地域の魅力は、個々の建物だけではなく、連続している建物の表情や、そこに住む人々の活動によって育まれていくものです。「美濃町の家」が、伝建地区と周辺地区をつなぐ核となることを期待しています。

2012年9月26日水曜日

森のようちえん通信 「もち米とれたよ!」


今年も採れました!
森のようちえん「森のだんごむし」のもち米が。

アカデミーOB(環境のコース1期生)の加納さん(通称“とっさん”)の地元、関市中之保の田んぼをお借りしてつくったもち米です。

毎年森のようちえんでは、田植え、たまに草抜き(笑い)、そして稲刈りとしてお邪魔しています。(実は殆どがとっさん が見守ってくれているのですが。。。)

ヒエに混ざって穂をつけたもち米は、それはそれはワイルド。夏の間、泥だらけになって草抜きしていたお母さんたちは、ちょっと気を抜くとすぐに生えてくるヒエの生命力にビックリ。。
「来年はもっとがんばろねっ」と気合を入れてました。
  

アカデミーの演習林で活動している森のようちえん「森のだんごむし」では、毎年このもち米を、年末と4月の入園式のもちつきに使います。
入園式でついた餅は、一年間の無事をお願いするために山の神様にお供えします。

「自分でつくった米を自分でついて餅にして山の神様にお供えする。」
そんな心のこもったお供えができるのも、OBのとっさんのおかげです。 
とっさん、いつもありがとう。

自然体験活動指導者・インタープリター養成コース
講師 萩原ナバ裕作

新しい木造建築のかたち(その5)

今回も古い建物ですみません。

新潟にある豪農の館(正式名称忘れました。すみません。)を見学しました。
建物の中から軒を見ていたら、「アハ!」。


何かおかしい


スギ丸太の継手が見あたらない・・・。スギ丸太30mの一本ものです。


スギ丸太の継手が見あたらない

なぁんだ、一本ものなんだ・・・30m一本ものはすごいですね。

30mの一本ものの丸太を利用しているのは・・・、びっくりですね。


今の日本では、道交法違反となってしましい、こんな30mの一本もののスギ丸太を運搬して、建物を建築することはできませんね。