2014年4月26日土曜日

新入生と「ものづくりタイムトラベル」へ

森林文化アカデミーの新入生たちと、岐阜県のものづくり1300年の歴史を旅してきました。

クリエーター科(林業再生・山村づくり・環境教育・木造建築・ものづくり)の学生を対象に、全教員がリレー形式で教える「森林から木材・暮らしへ」という授業があります。私は例年、「ものづくりタイムトラベル」と題して、岐阜県では昔からどのように森林と人が関わり、どんなものづくりをしてきたのか、見学へ出ることにしています。

この日はあえて講義はしません。まだ入学したばかりなので、頭に知識を詰め込むより、まずは心と体で感じてほしいと思っているからです。そして、いま自分は歴史の流れの中でどこに立っていて、これまでどんな積み重ねがあり、これからどこへ向かうべきなのかを考えるきっかけを提供したいと考えています。


まず、バスは100年前の岐阜県へ。車内では、この「岐阜県林産物一班」を参考にしながらクイズ。この本、今からちょうど100年前に、当時の市町村別にどんな森林資源でどんなものづくりが行われてきたのかを詳しくまとめたものなのです。
たとえば関市では、「木管」とよばれる木のパイプをシラカシで年間21万本も作っていたことが出てきます。当時、岐阜・大垣一帯では紡績・織物の大工場建設が相次いでいたのです。

到着したのは郡上市の明宝歴史民俗資料館。ここには村民が集めた47000点もの民具が収められています(一部は国の重要有形民俗文化財!)。まさに100年前の岐阜の暮らしがうかがえる資料です。

解説していただくのは、村の歴史を何でも知っている末武東さん。下の写真では、この地域にたくさん生えているエゴノキから、岐阜の特産品、和傘の部品を作って出荷していたことを説明しています。ここでも、林業・林産業が下流の製造業と密接に結びついていたことがうかがえます。

見学中に、森林文化アカデミー卒業生の諸橋有斗さんが駆けつけてくれました。彼は、この郡上市でかつて盛んで、その後途絶えてしまった下駄づくりを復活させるための研究を行い、卒業とともに事業を立ち上げました。この資料館にも、昔の下駄を調べるために訪れたといいます。過去を知ることが、新しいビジネスのヒントにもなる好例です。



そしてバスは飛騨へ。さらに歴史を遡ります。
ミュージアム飛騨で、飛騨木工連合会の野尻修二さん、高田秀樹さんに解説していただきました。飛騨といえば木工技術で知られますが、なんと1300年前から都の造営に貢献してきたのです。

こちらは現在の皇居に収められている「新宮殿の椅子」の試作品。木工芸の人間国宝・黒田辰秋と飛騨産業が制作にあたったものです。昔も今も、飛騨の木工技術は都に貢献しています。

飛騨といえば曲げ木が有名です。1920年にヨーロッパから技術が伝えられ、曲げ木の椅子づくりで洋家具の産地として栄えていきました。今では椅子やテーブルの出荷額では日本一を誇ります。


1300年を一気に現代まで駆け抜けて、最後は未来へ。
高山の大手家具メーカー・飛騨産業を訪ね、北山庸夫さんに解説していただきました。この会社では岐阜大学を退官された棚橋光彦教授を招き、研究所を設立して、これから先の最先端技術の研究を行っています。

スギ丸太をそのまま圧縮して角材にする技術。もう刃物や製材所はいらなくなるかも?

木をゴムのように柔らかくする技術。


高山ではこうした最先端の研究を行いながら、これからも木工技術のトップランナーであり続けようとしています。飛騨の匠の歴史は、現在進行形で続いています。

盛りだくさんのタイムトラベルでした。新入生たちの心と体に、この旅で感じたことがひとつでも染み込んで、これから2年間の学びを始める上での刺激になればと願っています。