2015年7月12日日曜日

「津金学校」文化資源を活用した地域活性化の歩み


村づくり講座「文化的景観論」の授業で、山梨県北杜市(旧須玉町)の「津金学校」を訪れました。ここは日本で唯一、明治・大正・昭和の三代校舎が同地内に残っている貴重な事例と言われています。明治8年に建てられた疑洋風建築の「明治の学校」は、昭和43年まで学校舎として現役で使われていましたが、その廃校に伴って保存活用か取り壊しか地域を二分する論争が起こり、上記のような希少性を理由として、地域の文化的景観として保存しながら地域活性化の拠点とすることになりました。
 

生まれ変わった三代校舎は、昭和校舎は「おいしい学校」として学校給食を模した食堂、パン屋、イタリアンレストラン、宿泊施設を擁する施設に建て替えられました。大正校舎は「農業体験施設」として補修改築され、そば打ち・ほうとう作り・米作りなどの拠点に。そして明治校舎は県の文化財として保存しつつ、1階を「カフェ明治學校」2階を「須玉町歴史資料館」として活用しながら、NPO法人文化資源活用協会が指定管理者として運営に当たっています。

 
今回は、NPO法人文化資源活用協会の高橋正明理事長に、これまでの事業経過や現在の地域の動きについてお話を伺いました。平成元年にオープンした須玉町の「三代校舎ふれあいの里」は最高時で年間12万人の観光客を呼び込み、都市農村交流の拠点として無くてはならない存在になりました。文科省の「廃校リニューアル50選」にも選定されています。



しかし、平成16年に須玉町が北杜市に広域合併した後の津金地区には厳しい現状もあります。現在は人口542人、222戸、高齢化率は50%を超える「限界集落」です。こうした中で、地域の文化資源を活用して交流人口を継続的に呼び込み、移住促進につなげる取り組みを展開しています。
 
 津金地区には、入江長八の流れを汲む「鏝(こて)絵」を掲げる建築が多数残されています。鏝絵は福を招く物語や花鳥風月などを題材に民家の漆喰壁に左官職人がほどこす芸術的な技です。山梨県内に100点ほど残されていますが、その内40点余を津金で見ることができます。この鏝絵を見る「散策マップ」が人気を呼んでいます。

 
平成16年に、地元の山梨大学に津金地区の空き家調査を依頼したところ、222戸のうち空き家が42戸、近い将来に空き家化が心配される独居世帯が32戸もあることが分かりました。文化資源活用協会では、「空き家対策から移住促進」の第一歩として、江戸後期に建てられた古民家を改修して「田舎暮らし体験ハウス」として活用することにしました。
 

空き家改修には多くの労力と資金が必要です。高橋さんらは地域内に「結い」を復活し、山梨大学をはじめ首都圏の複数大学の学生ボランティアの助けを借りるでその問題をクリアしました。改修計画や資金調達は、研究者や地元自治体の支援を受けて、5年間かけてようやく整備ができました。すでに運用開始し「なかや」と名付けられた古民家は、民宿の営業許可も取り、大学生等のセミナーハウスとしても利用されています。

 
高橋さんは「地域にあるものは何でも文化資源になる」と言います。またお年寄りが持っている知恵や技は博物館1館にも等しいことから「年寄りこそ文化資源だ」と熱く語ります。生まれ育った地の郵便局で勤め上げ、地域の人々を知り尽くす高橋さんだから言える言葉だと思います。

 
この人脈を活かして、最近は津金を気に入って移り住み・田舎で店を持ちたい若者達に、移住や開業のための支援を行っています。いわば一人「移住コーディネーター」です。これまで津金地区に移住した人は23人。その全てに高橋さんは関わり、彼らが地区に溶け込みやすいよう親身に面倒を見ています。だから、高橋さんの新しい文化資源(新住者)はますます増えていき、これからのアイデアを語るその顔は実に楽しそうです^^。
 

昼休みに、津金学校の近くに74日にオープンしたばかりの「つがね食堂」に行きました。もと「油屋」という屋号を持つ商店で、立派な「鏝絵」も残っていました。都会から移住してきた農業志望と管理栄養士の若い夫婦が切り盛りしていて、出てきたのはミートローフ定食。地元の野菜をふんだんに使っていながら意外な料理に、田舎の新しいセンスを感じました。
 
 
 

報告: 山村づくり講座 教員 嵯峨創平