(ゴッホの椅子を追いかけて 前編からつづく)
高山市の飛騨産業のショールームに飾られた、皇居・新宮殿の椅子。制作を指揮したのは、後に日本ではじめて木工芸の人間国宝に認定される黒田辰秋氏です。
宮内庁からこの椅子を注文を受けた時、黒田氏ははるばるスペインまで、通称ゴッホの椅子と呼ばれる素朴な椅子づくりを見に出かけます。椅子の文化のない日本で思いつきでつまらない椅子を作っては物笑いの種になる、と、旅行記に動機が記されています。(没後の回顧展の図録より〜煙山泰子さん提供)
その後、飛騨産業のスタッフとともに椅子づくりに取り組み、こんどは中国の古い椅子をモチーフにデザインの改良を重ねていきます。初期のものは背が低いのですが、新宮殿の天井が非常に高く、不釣合いであったことから、2作目では背が高くなりました。(これらの試作品は飛騨・世界生活文化センターで見ることができます)
私が関心を持ったのは、ひとつの椅子を生み出すために地球の裏側にまで行ってルーツを訪ね、先人たちの制作してきたものを踏まえて新しいものを生み出そうとする、作り手の姿勢でした。
黒田辰秋氏の綴った旅行記には、スペインの椅子職人が「流れるような速度と的確さをもって、自然木を選択処理し、構成してゆく」と、その技術に感嘆する様子が記され、自ら8ミリフィルムに制作の様子を収めたとあります。
その映像が残っていることが分かり、このゴールデンウィーク中に辰秋氏のお孫さんを訪ねてきました。京都府南丹市美山町。茅葺屋根の残る美しい町と聞いて、家族旅行を兼ねて(♪)の訪問です。
黒田家では、さっそく8ミリフィルム5本分の映像や、陶芸家の濱田庄司氏から辰秋氏へ贈られたというゴッホの椅子を見せていただきました。映像には、スペインの職人が生のポプラの木をみるみる削り、穴を開け、組み立てていく様子が映されています。自ら8ミリカメラを回しながら、黒田辰秋氏はきっと、そこに数千年の西洋の椅子づくりの積み重ねを見る思いだったのではないでしょうか。
黒田家に残るゴッホの椅子は、背もたれや脚の一部がロクロで削られた、やや新型のものです(長野県の松本民芸館に同じ型があります)。
我が家に残る黒田辰秋の作品はこれだけなんですよ、と言って見せていただいた砂糖壺。そして息子の黒田乾吉氏のつくった匙。文筆家の白洲正子さんは黒田家を訪ねてくるたび、この匙をこっそりポケットに入れて持ち帰ってしまうから、そのつど乾吉さんが削っていたのだと、楽しいエピソードも伺いました。
いろんなことをお話しするうち、黒田家のみなさんにとっても、おじいさんの辰秋さんが思いを抱き続けたゴッホの椅子は大切なものなのだということが分かってきました。私たちが訪ねなければ埋もれて忘れられてしまったかもしれないその思いが、次につながるということを、黒田家のみなさんも喜んでくださったようでした。
訪問の最後に、みんなで記念撮影。実は黒田家のゴッホの椅子、役立ててくださいと言われ、いただいてきました(!)。黒田辰秋さんの思いをつなげるよう、大切に使わせていただきます。