森林文化アカデミーでは岐阜県の伝統的な工芸について学び、技術を継承していくことをテーマのひとつにしています。昔から作られてきたものこそ、その地域が育んだ材料や、その地域に合った技術で作られるものであり、「森林文化」そのものであると言えるからです。
岐阜市は全国一の和傘の産地です。最盛期(昭和25年)には、毎月100万本(!)もの和傘が作られていました。これは近隣の美濃市で良質の和紙が作られていたことや、この地域で良質の竹が手に入ったことによるものです。
しかしいま、この和傘づくりが危機に瀕しています。ごくわずかな職人さんたちが分業で技術を伝えてきたのですが、それが途絶えようとしているのです。
それを象徴するのが、この「轆轤(ろくろ)」と呼ばれる部材。竹の骨をつなぐ軸の部材で、傘の頭と手元に1つずつあります。手元の轆轤を上下させて、傘を開閉します。この轆轤を作る職人さんは、全国にただ1人、岐阜にしかいません。和傘は京都でも金沢でも作られますが、轆轤はすべて岐阜のものです。
そしてこの轆轤の材料になるのは、エゴノキだけです。細かい加工をしても割れない粘り強さが求められるため、他の木では代用がききません。実は轆轤職人さんのために、山からエゴノキだけを伐り出してくる人が1人いたのですが、その人がこの春、亡くなってしまったのです。
私は轆轤職人さんから、エゴノキを継続的に入手できないか相談を受けました。そこで、郡上市明宝地区で活動する「明宝山里研究会」に問い合わせてみました。この団体は「明宝の森林資源を守り、次代へ繋げる」ことをテーマに活発に活動していて、森林文化アカデミーの卒業生が活動に関わっているなど、いろいろな繋がりがあります。
郡上市の団体に問い合わせたのは、別の理由もあります。およそ100年前の岐阜県の各市町村ではどんな木でどんな物を作っていたかを詳しく記した「岐阜県林産物一班」(大正3年刊)という資料があるのですが、そこに、郡上市明宝地区で傘轆轤用のエゴノキを多産していたという記述があるのです。

9月8日、山里研究会のメンバーとともに職人さんの木工所を訪ね、エゴノキから轆轤ができるまでの工程を見せていただきました。職人さんから、直径5センチ、2メートルほどのエゴノキを年間1000〜1200本使うことや、11〜2月の間に伐って1年間乾かしてから使わなければならないことなどを聞きました。木工所にはあと1年分の在庫はありますが、再来年の分はありません。つまり乾かす時間を考えると、今年11月にすぐ伐り始めなければ、再来年は轆轤を作れなくなるのです。

山里研究会では今、エゴノキを確保できるかどうか調べてくれています。まだどうなるか分かりませんが、山里研究会にとっても、「かなぎ(広葉樹)の森づくり」をする上で、傘轆轤の森を復活させるというテーマは魅力的なのだそうです。こうして岐阜県が誇るものづくりを伝承する活動が、山村づくりや森づくりの活動にもつながっていってくれればと期待しています。

しかしエゴノキが確保できたとしても、和傘づくりの伝承は予断を許しません。轆轤職人さんに後継者がいないためです。ほかに、骨をつくる職人も残りわずかと聞いています。私は、このような伝統工芸を受け継いでいきたいと考える人たちに、森林文化アカデミーへぜひ入学してほしいと思っています。この轆轤の例でも分かるように、木のものづくりを後世へ伝えていくためには、森づくりもあわせて考えていく必要があるからです。また、食べていけるようにするためには、行政や地域を巻き込んだ仕組みづくりも必要です。森林文化アカデミーなら、その役割を担うことができます。
和傘職人が絶えれば、日本舞踊、歌舞伎、全国各地の祭り、伊勢の遷宮のような宗教儀式、そうしたあらゆる場面から和傘が消えることになります。決して楽な仕事ではありませんが、絶やしてはならないのです。森林文化アカデミーでは、このような仕事に関心を持ち、自ら受け継いでいきたいと考えてくれる人たちを待っています。